10万人の命を一晩で奪った東京大空襲から10日で75年になる。猛炎を逃げ延びた隣組の面々が「生き抜いた証し」に納まった写真の中央にいた赤ん坊は、現在76歳。両親への感謝と平和の尊さを今もかみしめる。
拡大する東京大空襲を生き残った隣組の集合写真に見入る加藤勝啓さん=2020年3月2日、大阪市西区、永井靖二撮影
1945年3月10日朝、国技館に近い東京都本所区(現・墨田区)東両国の隣組は、コンクリートのビル内に身を寄せ、じゅうたん爆撃を生き延びた。街はまだ煙を上げてくすぶり、あちこちに炭化した死体が転がっていた。
「フィルムが1枚余っている。何を撮ろうか?」
近くに住んでいた建築家の加藤吾郎さん(当時37、2001年死去)は、向かいで写真館を営んでいた工藤哲朗さん(同54、1971年死去)から声をかけられ「じゃ、生き残った人を撮りましょう」と答えた。国民服やもんぺ姿の顔ぶれがすすまみれで、工藤さん自慢のライカに向かって並んだ。
拡大する東京大空襲を生き残った隣組の記念撮影。後列右から4人目が母の故・加藤キクさん、背中の赤ん坊が勝啓さん。前列右から3人目が父の故・吾郎さん=1945年3月10日早朝、東京都本所区(現・墨田区)の両国駅西側、長兄の加藤慶二さん提供
集合写真の中央に母子の姿がある。母親は吾郎さんの妻キクさん(同36、98年死去)。背中の赤ん坊は、末っ子の三男で当時1歳半だった勝啓(まさひろ)さん(76)=大阪市西区=だ。
勝啓さんは、民間航空のパイロ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル